鷲神社の歴史

由緒


鷲神社は、往古吾妻山嶽家形山に鎮座(勧請年間)ましましたが、文武天皇の二年(六九八)役行者が神のお告げ(役行角)により、当庭坂の北に位置する堂石山に還し祀り、堂石神社と称し地域住民に崇拝されておりました。


その後文永年間(一二六三~一二七四)出羽の国(山形県)に通じる大通り(旧米沢街道)が開通されると、参詣人(さんけいにん)の便を図り現在地に還し奉祀されました。

御神威は往古より誠に高く、御神徳により此の地は大変繁盛し寛政八年(一七九六)神階宣下(しんかいせんげ)により、正一位鷲大明神となり、明治二年(一八六九)神仏分離令により、鷲神社と改称し更に明治四年(一八七一)に郷社の列に加えられました。

福島市史資料叢書信達一統志(そうしょ しんたついっとうし)に当社について、産神なり米沢道の南にて山の上に鎮座なり八月朔日祭礼なり御神輿渡御(おみこしとぎょ)す、今世神位を授け奉る正一位鷲大明神とあがめる又鷲の尾とも称したるよし相伝説云々昔此処に大なる鷲飛来りて彼大蛇を抓み雲中に飛登ると見えしが大蛇は抓み殺され地に落ちて死す。

住民の難を救う人呼んで天恩を感じ鷲の精霊をかしこみ恐れて偏に神の所為なりと是れをいつき祭りしなり。

又次のような伝説がある。文永年間の頃、一羽の大鷲が堂石山より飛び立ち麓の田圃にある桜の木に一旦とまり、周囲を見渡し方向を定め再び飛び立ち現在の神社境内の森にとどまったという。
よって現在の地を字宮下、桜の木のあった田圃付近を字宮田という。

表参道

 福島市町庭坂字荒町の通りを北へ進み突き当たると字横町、これを左へ行くとその先に大きな「おかま石」や大小十数基の碑群と大鳥居が見える。

この参道には巨大な湯殿山の文字塔、青面金剛(しょうめんこんごう)(庚申像:こうしんぞう)二十三夜供養塔・古峯神社など、なかでも注目されるのは安政六年(一八五九)六月年記のある「山神」の碑(いしぶみ)である。

これらを右手に進むと寛政九年(一七九〇)建立の第一の鳥居、これをくぐり奥羽本線を横断し十段の石段を登ると第二の鳥居。
この鳥居は明治三十一年奥羽本線の線路が参道を横切り鳥居の内を遮ったので新しい鳥居の必要に迫られ奥羽本線開通の記念も含めて建立された。 

 この第二の鳥居を過ぎると右側に白壁の御神輿殿(おみこしでん)があり、これより更に緑の木々の中三十八段の石段を登ると境内になる。更に十段の石段の上に拝殿・神殿があり御祭神が鎮座ましましている。 

 拝殿の左手のソメイヨシノの桜は、樹齢百余年、幹廻り三㍍・高さ十三㍍の大木で、福島市の保存木に指定されている。 

裏参道

 昭和になり参詣人(さんけいにん)が次第に増し、奥羽本線を横切って表参道から参拝にくる老人子供の事故発生を憂慮すると共に、自家用車を利用する人の増加を憂慮、その必要性を感じ、昭和十一年(一九三七)境内の拡張整備と裏参道を西方に開作した。

忠魂碑

 裏参道の鳥居をくぐり境内に入ると直ぐ右側に大きな碑(いしぶみ)が建っている。
この碑は元来、町庭坂字内町の愛宕神社祀られていたが、昭和四十三年十二月移転されたものである。この碑は日清戦争から第二次世界大戦までの百柱の英霊が合祀されている。
 

 毎年、鷲神社の例大祭の祭祀(さいし)開式の前に、ご遺族と総代全員が参列し、宮司が祭司となり慰霊祭を斎行している。 

末社 大山衹神社(まっしゃ おおやまつみじんじゃ)

 鷲神社北側の道路は旧米沢街道で、これより約十㎞の山坂(やまさか)を登ると慶長18年(1614)上杉藩阿部薩摩が人家を移し、
村落を形成した李平宿(当時52戸)跡がある。

これより更に200m行った左手の鳥居をくぐり、218段の階段を登った山頂の祠(ほこら)2基の大山衹神社が祀られて(まつられて)いる。 

例祭は、毎年6月第1日曜日で、宮司・総代長以下総代全員が参道の草刈りなどをしながら登り、境内の清掃、注連縄(しめなわ)・蟙旗(のぼりばた)の取替を行い祭祀を執り行っている。 

祭 礼

 例大祭は毎年10月15・16日(16日は御神輿渡御(おみこしとぎょ)に斎行されていた。
 

例大祭の御神輿渡御(おみこしとぎょ)は地域の若者たちが担ぎ、更に永燈会・鼓友会の太鼓屋台 各一台をお供に庭坂一円を巡行し、すこぶる賑わいを極めたが、昭和38年頃より青年男女の地域離れにより担ぎ手の不足を来たしたので、やむなく昭和40年より自動車四台を使用、一号車はふれ太鼓、二号車はお祓い(おはらい)、三号車は御神輿(おみこし)、四号車は供物収納の隊列で庭坂地域を巡行、18箇所の祈祷所を予め定めておき、氏子崇敬者はそこで御神輿をお迎え、お祓いを受け御神符(ごしんぷ)を戴く。 


 又、地区内に十か所ある集会所の内二か所交代で指定し、そこでは祭壇を設け御神楽の奉納、祈祷を執り行う。 

 昭和五十年頃より駅前小若連の太鼓屋台も加わり賑わいをみせている。この間の所要時間は約四時間半。 

神社だよりの発行

 平成7年7月「鷲神社だより」第1号を発行。当初は祭礼の案内・神社の由来などから始まり、以来、七月の夏越祭(人形祭)・10月の例大祭に合わせ年2回、更に12月の大麻(おおぬさ:伊勢神宮の神札)の頒布(はんぷ)に号外を発行。

宮司による神道に関わる講話や、総代が参加した神社関係者大会・研修会の感想或いは郷土に関わる古い話など、神社からの情報提供と地域の方々からの投稿文も載せ、神社と氏子崇敬者とのコミュニケーションをはかっている。